難民に関する国際法上の基本事項(プラクティス国際法講義第2版から)
- 第七章から 個人の国際法主体性
- 伝統的国際法では、個人の国際法主体性は否定されてきたが、近年では限定的に認められつつある。ただし、その要件はまだ定まっていない。
- 個人の国際法上の権利能力
- 「伝統的国際法においては国家のみが主体であって、個人(自然人および法人)は国際法上の客体とみなされていた」
- ここでは、条約に基づく利害事項に関して締約国によって何らかの損害を被った個人は、当該締約国の国内的手続きに従うか、本国の外交的保護を求めるしかない。
- 20世紀に入ると、個人の出訴権や請願権を認める条約が出てくる。
- 1908~1918の駐米司法裁判所、1919ヴェルサイユ条約に基づく混合仲裁裁判所、1922上部シレジアに関するドイツ・ポーランド条約
- こうした現象を捉えて、個人の国際法主体性を巡る議論が活発化する。
- 初期の議論
- その後
- ⇒現在では、個人の国際法上の権利能力の承認に関して、国際手続がなくてもこれを認める立場が有力である。
- ⇒ただし、手続の有無によって権利保障の程度は当然に変わり得るし、たとえあったとしても、手続きの性質によって、保障の程度は変わる(国際裁判の判決と個人通報制度では状況は大きく異なる。)
- 義務については省略(具体的には戦争犯罪など)
- 「伝統的国際法においては国家のみが主体であって、個人(自然人および法人)は国際法上の客体とみなされていた」
- 第16章第Ⅲ節から 難民の国際的保護
- 国際法における難民問題
- 難民の庇護
- 戦間期
- 第二次世界大戦直後
- 1946 国際難民機関(IRO)憲章
- 1948 世界人権宣言 14条「すべての者は、迫害からの庇護を他国に求め、かつ、これを他国で享受する権利を持つ」
- UNHCR
- 1951 UNHCR設立
- 難民の保護と支援を行う
- 2003年までは時限機関だったが、それ以後は国連総会の補助機関となった。
- 当初は、難民条約に定義される難民が対象だった(現在の「中心的マンデート難民」)
- 「事後対応型」「庇護国中心」「難民重視」から「事前対応型」「出身国中心」「包括的」な活動へ転換中
- 1951 UNHCR設立
- 難民条約
- 1951 「難民の地位に関する条約」難民のマグナカルタ
- ①難民の一般的な定義を定めたこと、②難民に一定の権利を認め、難民の保護・支援が慈善でないとしたこと、の2点で意義がある
- 第1条A(2)で定められる難民=条約難民
- (a)1951年1月1日前に生じた事件の結果として、
- (b)人種、宗教、国籍若しくは特定の社会集団の構成員であること又は政治的意見を理由に、迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、
- (c)国籍国(あるいは常住所国)の外にいる者であって、
- (d)国籍国(あるいは常住所国)の保護をうけることができない、又はそれを望まないもの
- (b)の「迫害」について:冷戦下で、西側諸国が「自由の戦士」としての難民を保護しようとする動きが背景にあった。
- (a)は1967の難民議定書によって解消された。
- 第33条 ノン・ルフールマン原則(難民の追放・送還の禁止)
- 難民の生命や自由が脅威にさらされる恐れのある領域の国境へ難民を追放したり送還したりしてはならないという、条約当事国の法的義務
- 現在では、慣習国際法になっているという見方が有力
- 国境地点での入国拒否にこの原則が適用されるかは不透明
- 難民として認定された者には、各種の法的保護を与える義務が、当事国に課せられる。
- 難民に庇護を求める権利が与えられるわけではない
- 当事国に、入国を認めたり庇護を与える一般的義務が生じるわけではない。⇒難民のミニマム・スタンダード
- 1951 「難民の地位に関する条約」難民のマグナカルタ
- 「新」難民
- 現状では、従来の難民のみならず、UNHCRの援助対象者(person of concern)など、定義が拡大している。(純粋に経済的な理由による移動者は含まれない)
- 日本の難民認定数は少ない。ただし、人道配慮によって在留を認めた者は一定数存在する。